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チジック・ハウス

ロンドン / イギリス

チジック・ハウス は、イギリス、西ロンドンのチジック、バーリントン通りに現存するパッラーディオ建築の建物 である。第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル の設計で1729年に完成した。26.33ヘクタール の敷地を持つ建物と庭園の大半は建築家で造園家のウィリアム・ケント によって作られ、イギリス式庭園 の初期の代表作の一つである。 最初の所有者であるリチャード・ボイルが1753年に亡くなり、翌1754年には生き残っていた彼の最後の娘、シャーロット・キャヴェンディッシュ が、そして1758年にリチャードの妻であったドロシー・サヴィル が亡くなった。資産はシャーロットの夫であった第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ に譲られた。さらに1764年にウィリアムが亡くなると邸宅は彼らの長男、第5代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ に譲られた。ウィリアムが1774年に結婚した妻、ジョージアナ・スペンサー はファッションや政治の世界で非常に目立ち、物議を醸す存在であったが、彼女は長い間ここを別宅として、そしてまたホイッグ党の本拠地として使った。チャールズ・ジェームズ・フォックス はここで亡くなり、トーリー党首相、ジョージ・カニング もまたこの邸宅のジョン・ホワイトウィング にある寝室で亡くなった。 19世紀の間この邸宅は荒廃していき、1892年にはキャヴェンディッシュ家により貸し出されて、精神病院の収容棟、チジック・アサイラム として使われるようになった。1929年、第9代デヴォンシャー公爵ヴィクター・キャヴェンディッシュ はミドルセックス州議会にチジック・ハウスを売却し、その後消防署として使われることとなった。建物は第二次世界大戦で損傷を受け、1944年にはドイツのV2ロケットで二つあるウィングの片方が破壊された。1956年には両ウィングとも取り壊された。 現在、この建物はイギリスの指定建造物 のグレードIにリストアップされており、イングリッシュ・ヘリテッジ により維持されている。大きな庭園を有しているため、チジック・ハウス・アンド・ガーデンズという名称で呼ばれることもある。